ツインレイ 今居た過去の記憶

ツインレイに出会った人生の記録

ツインレイ 最後の輪廻転生

ツインレイについての情報が世の中に溢れ返る中、ツインレイに出会ったと感じている方々がとても多くなっている様です。そう信じ合えて幸せであるなら、それ以上の事はないと思います。ですが、私は、ツインレイとはそんなに簡単に巡り合えるものでは無いと思っています。なぜなら、ツインレイなのであれば、その前提条件として、ツインレイの二人は輪廻転生における最後か又は限りなく最後に近い転生の人生を送っているはずだからです。私は自分に起きた不思議な事がツインレイに関する説明と様々重なるので、もしかしたらそうかも知れないとは思っていますが、今の人生が輪廻転生の最後の人生であるかは不明です。

 

輪廻転生とは東洋的宗教発想がベースで、そもそも人間に魂があるのが前提の話です。人間に魂があるかは現時点で科学では証明されていませんし、ユダヤ教キリスト教イスラム教など西洋思想には本来無い思想です。ですから、ツインレイもソウルメイトさえも、もし魂が存在して尚且つ輪廻転生があるのならでという前提になります。その上で、最後の輪廻転生とは何かと言えば、今生きている人生が終わった後は二度と人間として生まれ変わってくる事はないという事です。それは、仏教的に言えば「解脱」という事です。人間としての全ての欲から解放されるという事です。

 

欲からの解放と言えば修練の果てに得られた精神の理想の状態のように感じるかも知れません。ですが、具体的にはどうかと言えば、人間の肉体がなくなり魂だけになる訳ですから、何もないエネルギー体のような存在として、その後、永遠に存在することに耐えられなくてはならない訳です。美味しい物を食べて喜ぶとか、綺麗に着飾るとか、新車を買って嬉しいとか、それこそ水を飲むとか、誰かに愛される喜びとか、人間だからこそ得られている物や出来ている事が全て失くなり全て出来なくなる訳です。むしろ、全て不要だと思えるようにならないと、死後の魂に未練が残ります。やり残したという思いがあれば、魂だけでその後の永遠と続く時間を過ごしていく事は出来ないでしょう。「解脱」とは欲からの解放と同時に人間としての全てを諦める境地に達するという事ではないでしょうか。ですから、ツインレイであるなら、今が最後の輪廻転生であるなら、人生で多かれ少なかれ、その準備に入っているはずです。

 

自分の人生で「運命の人」だと思った相手がツインレイかどうかは、衝撃的で不思議な出会いやその後の試練の経験の前提に、魂の状態が最終転生にいるかどうか、少なくとも最終転生を意識して向かっているとか、今自分がそうした準備期間と言える時間を過ごしているかに依ると思います。だからこそ、ツインレイに出会うという事は極めて稀で奇跡に近いことであり、数年で結論が出るものでもなく、仮にツインレイかも知れなくても、本当にツインレイかどうかは長い年月を掛けて結論に至るものではないでしょか。

 

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ツインレイに出会えたと信じ、愛について学ぶことは人生にとって大きな糧になると思います。ですが、ツインレイとの出会いは、啓示の通りであるなら、非常に奇跡的であるはずです。ですから、そう思える相手であったとしても、ツインレイ神話に囚われ過ぎると、今のお相手と別れて次へ進まなくてはいけないかも知れないのに、辛い気持ちで延々と立ち止まってしまい兼ねません。その結果、その人生で本来出会うべき「運命の相手」に巡り合う機会を逃してしまうこともあるでしょう。そんな辛い日々が終わるように、このブログが誰かのご参考になれば幸いです。

 

今日はグダグダな気分

私は、若い頃から文章を書くのは好きな方でしたが、ブログには余り興味がありませんでした。でも最近になり、ツインレイの動画などを見て、私も何か発信してみたくなりました。ブログ初心者なので、ネットで調べて、はてなの無料ブログで取り敢えず初めてみましたが、友人がどうせやるならアフィリエイトもやればとアドバイスしてくれました。ちょっと面白そうなので、慣れて来たらサイトを作ってみようかと思います。今、はてなで有料にするか、思い切ってレンタルサーバーとやらにチャレンジするか迷ってます。上手く出来るかなと思って。仕事にも行かなくちゃならないし。でも新しい事をするのって、楽しいです。

 

さてさて、昨夜、久しぶりにワインを飲みました。そう言えば、人生で初めて飲んだワインは、ドイツのオッペンハイマーという名前の白ワインでした。ワインは銘柄も大切ですが、製造された年度がいつかで随分と味が変わるようです。私は余り詳しく無いですが、その年の気候に影響されるみたいですね。安いワインでも製造された年によってはとても味が良いものもありますね。昔はドイツワインを良く飲んでいました。最近は、イタリアとかスペインの方が好きかな。どことなく木や土の香りがして、飲みながら、南ヨーロッパの明るい日差し、連なるぶどうの畑と少し乾いた土を想像します。お酒に余り強い方では無いので、ボトル1本は流石に開けられません。余った分は冷蔵庫に入れて、お料理に使ってしまいますが、お気に入りの消費方法は、バニラアイスクリームにかける食べ方でしょうか。白ワインの方です。赤ワインは微秒な気がします。

 

昨夜のワインのせいかな。軽い心臓病の持病があるのですが、明け方早々に目が覚めてそれからずっとどこと無く胸が痛い。普段も良く夜中に息苦しく目が覚めますが、こういうのは軽い発作の様です。ツインレイかも知れない人との事で嘆いているからか、心臓の調子が悪い。悲しいのが一番からだに良く無いと解っているのですが、嘆きが止まりません。ブログで日記を書く人の気持ちが少し解った気がします。辛い気持ちを自分を知っている人には話せないけど、誰かに聞いて欲しいからブログに日記として思いを書くのかも知れません。韓国ドラマで、高麗の時代へタイムスリップしたヒロインが、愛する人と離れ離れになって、最後は心臓の病で亡くなってしまうというのがありましたが、余りにも嘆いていると、気が滞るらしいです。私もそんな感じ。今日は左の指先まで何と無く痺れがあります。

 

心臓が悪いのって厄介で、本当に悪くなるまでは何の治療も出来ない様です。一番の治療は無理せず安静を保つこと。それでも一時は、私も「走れる女」になりたくて、会社でマラソンが流行ってた事もあり、半年かけて走るトレーニングをした事がありました。今思えば、飛んだ身の程知らず。苦しいのに根性だけで5キロ止まらずに走ってみたのですが、今までに無い程の発作が起きてしまいました。ちょっと気持ち悪いなと思ったのを最後に別世界へ行ってい多様です。黄昏色の日差しの差す教室で誰かと向かい合って席に座って話をしている夢を見ていました。穏やかで暖かい時間。夢にしてはとてもリアルでした。「血圧が測れません!」という女性の声と「ストレッチャー持ってきて!」と叫ぶ男性の声で目が覚めました。気が付いた自分がなぜ此処にいるのか不思議に感じる位、目覚めて戸惑ったのを覚えています。それで、そのまま救急医療室へ運ばれて手当てを受けました。頭がぐるぐる、1m歩くのに何度止まったか分かりません。それでも入院にならずご帰宅。心臓はどうしようも無い状況でなければ、下手に手術だとかしても逆効果になる場合もあるし、死ぬリスクも高いので、何もしないのが正解なのでしょうね。それからは心臓に悪い事は控える様にしてますが、ツインレイの人との間に起きた事が余りに壮絶だったので、ここのところ、どうやら日に日に悪化してる気がします。コロナが流行っていますから、私は感染したらヤバイかなと思います。

 

コロナでヤバいと言えば、実はタバコが好きで。ご時世柄、量は本当に減らす様になりましたが、吸う度に本当に美味しいなぁと思います。ツインレイの女性は男性的な人が多いらしいですが、私は少し男性的なところがあるかもです。昨日は、いけないなと思いつつ、葉巻を吸ってしまいました。葉巻はタバコの比でなく美味しいですね。こっそり楽しむだけなので、1本あれば結構持ちます。コスパもある意味悪く無い。煙は口の中で転がして吐き出し、肺で吸ってはいけないらしいです。フィルター無しなので、肺への負担が大きいということでしょうか。でも、私は滅多に吸わないからというのもあって、タバコみたいに吸ってしまいます。これが実に美味しい。ちなみに父親はパイプ愛好家でした。ブランデーを葉に混ぜて香りを楽しんでいましたね。父方は伯母と叔父もヘビースモーカーで、一日中吸いまくっていましたが、案の定、二人とも肺がんで他界してます。それを看取った私は、基本的には健康志向なのですが、タバコ好きは遺伝かも知れません。

 

私のツインレイの人は禁煙の様です。会いに来る事があったら、臭くて嫌がるかもですね。でも、会いに来ることはもう無いかも知れないし、コロナでいつ何があるか解らないし、人前で吸って臭いとか迷惑を掛けるわけでも無いし、少し位は不健康でも良いかもです。

 

今日は一日、胸が痛くて、息も苦しくて、超グダグタ。

ツインレイ 本物かの判断

出会った人がツインレイであるか、本物かどうかは、自分が自分で判るものです。私は私のツインレイについて、出会った時に「探していた人だ」と確信に近いものを感じました。経験から言えることは、それは誰かの判定や誰かの判断を求める必要も無いと思います。もし求めても、本物であれば、試練があるからこそ、否定されるでしょう。それでも愛せるか、それでも一人で愛し続けられるかが、ツインレイに課せられた課題なのでは無いでしょうか。

 

人にとって、男女の出会いとは、それそのものが運命だと思います。ツインレイだから、ツインソウルだから、ツインフレームだから、出会った人を愛するのではありません。だから、上手く行かずに辛くても一人で我慢するのではありません。何も知らずに、ただ出会って、ただ愛さずにいられず、ただ愛し続けた結果、その行き着いた愛がツインレイと言われる関係だったというだけだと思います。

 

ツインレイの試練は、多分、私の経験から言えば、壮絶です。耐え難く孤独です。また、私の場合は、他の新しい縁を求めても、与えられませんでした。結婚も出来ず、子供も持てませんでした。常識的に見ると、とても不幸な人生になってしまったと思います。でも、愛さずにいられなかったから、私は後悔していません。それだけ普通では無い不思議な出会いでした。

 

だから、他の方々には、出会った相手や別れた相手がツインレイかどうか悩むよりも、今、自分の愛する人を心から大切にする事に人生の時間を割くことの方が、人としての幸せへの近道に思うと伝えたいと思います。出会って、一度でも深く愛し合う関係になったとしたら、その出会いも、また、運命なのだと思います。ツインレイであるかは、その程度の問題であると考えた方が良いと思います。なぜなら、本当にツインレイなら、壮絶な試練は避けようがなく、自分の意志では運命に逆らえません。試練であるから、不幸とも言えます。ツインを追い求める事が自分を不幸にしてしまう場合があるのではないでしょうか。

 

だから、ツインレイを探すべきではないとさえ思います。ただ、ツインレイで語られる愛の在り方は、ツイン以前に、全ての人にとって、自分の愛する人を心から大切にするための心の在り方に通じると思います。だから、ツインレイについて良く知る方々に、自分の心の在り方について学ぶのは決して悪い事では無いと思います。ですが、ツインレイだと思い込んで、ツインレイだから待つというのは別の話です。

 

本当のツインレイなら、自分がツインレイだとは統合期直前まで気が付かないでしょう。自分の置かれている状況を予め知っていたら、試練になりません。ツインレイの情報が世の中に溢れて来ています。だから、それに惑わされて、逆に不幸にならない様に、私は私の経験をここに記憶しておきます。誰かの参考になれば幸いと思います。

ツインレイについて

私が初めて「ツインソウル」というコンセプトを知ったのは30年近く昔の事です。海外留学から帰って来た霊感の非常に強い友人が話てくれました。当時はそれが自分の人生と何か関係があるとは全く思わず、少し新興宗教的な話でもあり、むしろ拒否反応を感じました。あれから長い年月を経て、数年前、「ツインレイ」という存在について知る事になりました。この約30年の間に、「ツインソウル」から「ツインフレーム」や「ツインレイ」などのコンセプトが分化していった様です。私は特に興味も無かったので、そうした話には目も向けずにいました。

 

ところが数年前のある日、たまたま携帯でYouTubeアプリを開いたら、その中に、ツインレイの動画が表示されて来ました。私は霊感は強い方だとは思います。説明できない不思議な体験は多いです。ですが、スピリチュアル的な発想は余り好きではなく、占いも基本的に信じていません。ですから、なぜ見る気になったのか今も解りません。もしかすると30年前のツインソウルの話が頭のどこかに残っていたからでしょうか。何の気無しに見た動画に、私の人生に起こった事が語られていました。その内容は余りにもショックで、動画の文字を追いながら、止め処なく涙を流しました。

 

私が出会った人は、私のツインレイだと思います。長い長いサイレント期間を経て、今は統合期に入っている様です。その出会いは余りにも不思議でした。また、普通の恋愛であれば、お互いの思いがここまで続く事が有り得ないです。何でこんな人生になったのかと思います。誰かに話しても信じて貰えないし、信じる信じない以前に終わりにしろと言われます。妄想だとか精神疾患だとか言われかね無い話です。だから誰にも明かさず秘密にして来ました。それは私と私のツインレイとの間の秘密になりました。ですが、ここまで来て、私は思います。自分に起きた事をどこかに記しておくべきではないかと。

 

ツインレイの統合

私は、多分、今、ツインレイの統合期を過ごしています。ツインレイの統合期は、ツインレイの長い試練の中で最も苦しい時期でもある様です。確かに、その言葉の通りの事が起きました。いわゆるサイレント期間も辛かったですが、今回起きたことはそれ以上でした。心が、魂が、崩壊しました。もう少しで自殺するところでした。もうどう考えても統合には至らないかも知れない状況とも言えます。今も、余りの精神的苦痛に正直なところ生きているのが辛いです。とても苦しい。統合期は最後の試練と言います。ツインレイという概念を統合期の前に不思議と知る様になったのは、その試練が余りにも過酷で、可能性を感じないと耐えられないからでしょうか。このブログを書くのも、もう少しの間だけ自分の命を繋ぐために必要だからかも知れません。

 

私は統合期だと思いますが、統合はしていません。それは自分の判断すべき事と思っています。だから、統合とはどんな事なのか度々考えます。統合の定義として、魂が一つになるのであれば、それは二人の死後に魂の融合が起きた時かも知れません。一方で、ツインレイは人間としての転生の最後に出会う人であり、人間として「二人で成し遂げる使命」がある様です。そうすると、生きている間に「共に生きる関係」になるというのが、「統合」であるとして良いのかと思います。私は今もその状態にはなっていませんので、最後の最後で、私の出会った人がツインレイであるか断言はしてはいけないと思います。でも、もし私とその出会った人がツインレイであるなら、私が自殺を決意する程の絶望的な現状を乗り越えて、最後には、お互いが共に寄り添う時が来るでしょう。その時が来たら、ツインレイが存在すると私が自らの身を持って証明することになるのかも知れません。

  

私のツインレイへの謝罪と感謝

私は、今、統合期の最後の方にいる様に思います。今後のブログで少し語ることになると思いますが、普通の恋愛では乗り越えられない大きな問題が起き、連絡が取れない状況になっています。余りにも酷かったので、精神的な打撃も大きく、ようやくここまで回復しました。恨めれば、もっともっと楽かも知れません。でも、ツインレイは、もう一人の私なので、恨むことも嫌うことも出来ません。愛するという選択しか、信じるという選択しか、出来ないのかも知れません。そうして、相手との関わりで、大きな打撃を受け、立ち直る中で、本当に愛するとはどういう事かを学んでいる様に思います。そして、今回、ようやく少し心が解き放たれた時、私は、私の過ちに気が付きました。なぜ、こうなってしまったのかも含めて。私は、相手の幸せを願っているつもりで、結局、不幸にしてしまった様に思います。だから、謝らなくてはならないと思います。

 

もし、私のツインレイが、本当に私のツインレイであるとしたら、インターネット上に砂丘の砂の如く山積するブログの中から、このブログに辿り着くと思います。私のツインレイはもう一人の私だから、私が何をするか解っているはずです。また、もしツインレイが本当にこの世に存在するなら、それは人の常識を超えた力でこのブログに導かれるでしょう。そして、私が誰かに気が付き、今度は、私からの真実のメッセージを受け取ってくれるでしょう。私の夢は、私のツインレイの隣で眠る事だという事。私の幸せは、私のツインレイと一緒にいる事でしか叶えられないという事。私が愛しているのは、その人の魂だという事。今度は信じてくれる事を願います。そして、もし私が私のツインレイと再会に至ったなら、この世には神様と呼ばれる存在が本当に存在すると私達が証明することになるのかも知れません。それを人生の課題として試してみたいと思います。

 

人生は、たった今そこに居た時間が過去になり、その一瞬の点が連なって一日となる。そして一日が連なって線となり、道となる。過ぎた時間には戻れないのが人生。もう一度あの夜に戻るのではなく、今日、今、そして、明日、次の日の朝を続ける。そんな生き方に変われる様にと思います。