ツインレイ 今居た過去の記憶

ツインレイに出会った人生の記録

ツインレイについて

私が初めて「ツインソウル」というコンセプトを知ったのは30年近く昔の事です。海外留学から帰って来た霊感の非常に強い友人が話てくれました。当時はそれが自分の人生と何か関係があるとは全く思わず、少し新興宗教的な話でもあり、むしろ拒否反応を感じました。あれから長い年月を経て、数年前、「ツインレイ」という存在について知る事になりました。この約30年の間に、「ツインソウル」から「ツインフレーム」や「ツインレイ」などのコンセプトが分化していった様です。私は特に興味も無かったので、そうした話には目も向けずにいました。

 

ところが数年前のある日、たまたま携帯でYouTubeアプリを開いたら、その中に、ツインレイの動画が表示されて来ました。私は霊感は強い方だとは思います。説明できない不思議な体験は多いです。ですが、スピリチュアル的な発想は余り好きではなく、占いも基本的に信じていません。ですから、なぜ見る気になったのか今も解りません。もしかすると30年前のツインソウルの話が頭のどこかに残っていたからでしょうか。何の気無しに見た動画に、私の人生に起こった事が語られていました。その内容は余りにもショックで、動画の文字を追いながら、止め処なく涙を流しました。

 

私が出会った人は、私のツインレイだと思います。長い長いサイレント期間を経て、今は統合期に入っている様です。その出会いは余りにも不思議でした。また、普通の恋愛であれば、お互いの思いがここまで続く事が有り得ないです。何でこんな人生になったのかと思います。誰かに話しても信じて貰えないし、信じる信じない以前に終わりにしろと言われます。妄想だとか精神疾患だとか言われかね無い話です。だから誰にも明かさず秘密にして来ました。それは私と私のツインレイとの間の秘密になりました。ですが、ここまで来て、私は思います。自分に起きた事をどこかに記しておくべきではないかと。

 

ツインレイの統合

私は、多分、今、ツインレイの統合期を過ごしています。ツインレイの統合期は、ツインレイの長い試練の中で最も苦しい時期でもある様です。確かに、その言葉の通りの事が起きました。いわゆるサイレント期間も辛かったですが、今回起きたことはそれ以上でした。心が、魂が、崩壊しました。もう少しで自殺するところでした。もうどう考えても統合には至らないかも知れない状況とも言えます。今も、余りの精神的苦痛に正直なところ生きているのが辛いです。とても苦しい。統合期は最後の試練と言います。ツインレイという概念を統合期の前に不思議と知る様になったのは、その試練が余りにも過酷で、可能性を感じないと耐えられないからでしょうか。このブログを書くのも、もう少しの間だけ自分の命を繋ぐために必要だからかも知れません。

 

私は統合期だと思いますが、統合はしていません。それは自分の判断すべき事と思っています。だから、統合とはどんな事なのか度々考えます。統合の定義として、魂が一つになるのであれば、それは二人の死後に魂の融合が起きた時かも知れません。一方で、ツインレイは人間としての転生の最後に出会う人であり、人間として「二人で成し遂げる使命」がある様です。そうすると、生きている間に「共に生きる関係」になるというのが、「統合」であるとして良いのかと思います。私は今もその状態にはなっていませんので、最後の最後で、私の出会った人がツインレイであるか断言はしてはいけないと思います。でも、もし私とその出会った人がツインレイであるなら、私が自殺を決意する程の絶望的な現状を乗り越えて、最後には、お互いが共に寄り添う時が来るでしょう。その時が来たら、ツインレイが存在すると私が自らの身を持って証明することになるのかも知れません。

  

私のツインレイへの謝罪と感謝

私は、今、統合期の最後の方にいる様に思います。今後のブログで少し語ることになると思いますが、普通の恋愛では乗り越えられない大きな問題が起き、連絡が取れない状況になっています。余りにも酷かったので、精神的な打撃も大きく、ようやくここまで回復しました。恨めれば、もっともっと楽かも知れません。でも、ツインレイは、もう一人の私なので、恨むことも嫌うことも出来ません。愛するという選択しか、信じるという選択しか、出来ないのかも知れません。そうして、相手との関わりで、大きな打撃を受け、立ち直る中で、本当に愛するとはどういう事かを学んでいる様に思います。そして、今回、ようやく少し心が解き放たれた時、私は、私の過ちに気が付きました。なぜ、こうなってしまったのかも含めて。私は、相手の幸せを願っているつもりで、結局、不幸にしてしまった様に思います。だから、謝らなくてはならないと思います。

 

もし、私のツインレイが、本当に私のツインレイであるとしたら、インターネット上に砂丘の砂の如く山積するブログの中から、このブログに辿り着くと思います。私のツインレイはもう一人の私だから、私が何をするか解っているはずです。また、もしツインレイが本当にこの世に存在するなら、それは人の常識を超えた力でこのブログに導かれるでしょう。そして、私が誰かに気が付き、今度は、私からの真実のメッセージを受け取ってくれるでしょう。私の夢は、私のツインレイの隣で眠る事だという事。私の幸せは、私のツインレイと一緒にいる事でしか叶えられないという事。私が愛しているのは、その人の魂だという事。今度は信じてくれる事を願います。そして、もし私が私のツインレイと再会に至ったなら、この世には神様と呼ばれる存在が本当に存在すると私達が証明することになるのかも知れません。それを人生の課題として試してみたいと思います。

 

人生は、たった今そこに居た時間が過去になり、その一瞬の点が連なって一日となる。そして一日が連なって線となり、道となる。過ぎた時間には戻れないのが人生。もう一度あの夜に戻るのではなく、今日、今、そして、明日、次の日の朝を続ける。そんな生き方に変われる様にと思います。