ツインレイ 今居た過去の記憶

ツインレイに出会った人生の記録

ツインレイ 本物かの判断

出会った人がツインレイであるか、本物かどうかは、自分が自分で判るものです。私は私のツインレイについて、出会った時に「探していた人だ」と確信に近いものを感じました。経験から言えることは、それは誰かの判定や誰かの判断を求める必要も無いと思います。もし求めても、本物であれば、試練があるからこそ、否定されるでしょう。それでも愛せるか、それでも一人で愛し続けられるかが、ツインレイに課せられた課題なのでは無いでしょうか。

 

人にとって、男女の出会いとは、それそのものが運命だと思います。ツインレイだから、ツインソウルだから、ツインフレームだから、出会った人を愛するのではありません。だから、上手く行かずに辛くても一人で我慢するのではありません。何も知らずに、ただ出会って、ただ愛さずにいられず、ただ愛し続けた結果、その行き着いた愛がツインレイと言われる関係だったというだけだと思います。

 

ツインレイの試練は、多分、私の経験から言えば、壮絶です。耐え難く孤独です。また、私の場合は、他の新しい縁を求めても、与えられませんでした。結婚も出来ず、子供も持てませんでした。常識的に見ると、とても不幸な人生になってしまったと思います。でも、愛さずにいられなかったから、私は後悔していません。それだけ普通では無い不思議な出会いでした。

 

だから、他の方々には、出会った相手や別れた相手がツインレイかどうか悩むよりも、今、自分の愛する人を心から大切にする事に人生の時間を割くことの方が、人としての幸せへの近道に思うと伝えたいと思います。出会って、一度でも深く愛し合う関係になったとしたら、その出会いも、また、運命なのだと思います。ツインレイであるかは、その程度の問題であると考えた方が良いと思います。なぜなら、本当にツインレイなら、壮絶な試練は避けようがなく、自分の意志では運命に逆らえません。試練であるから、不幸とも言えます。ツインを追い求める事が自分を不幸にしてしまう場合があるのではないでしょうか。

 

だから、ツインレイを探すべきではないとさえ思います。ただ、ツインレイで語られる愛の在り方は、ツイン以前に、全ての人にとって、自分の愛する人を心から大切にするための心の在り方に通じると思います。だから、ツインレイについて良く知る方々に、自分の心の在り方について学ぶのは決して悪い事では無いと思います。ですが、ツインレイだと思い込んで、ツインレイだから待つというのは別の話です。

 

本当のツインレイなら、自分がツインレイだとは統合期直前まで気が付かないでしょう。自分の置かれている状況を予め知っていたら、試練になりません。ツインレイの情報が世の中に溢れて来ています。だから、それに惑わされて、逆に不幸にならない様に、私は私の経験をここに記憶しておきます。誰かの参考になれば幸いと思います。